多様化するお葬式

葬式バブルと原点回帰

高度経済成長時代、冠婚葬祭(結婚式・お葬式)に大きな変化が生じました。
結婚式(披露宴)は、列席者数の多さ、ウエディングケーキの高さ、披露宴で催される様々なイベント、お色直しの回数などが競われ、まさに「結婚式バブル」と言える現象でした。
一方、葬儀に目を向けますと、死者を弔うことを祭壇の大きさや会葬する人の多さ、戒名の位の高さなどで表現する方々が現れました。
特に、葬儀に於ける会葬者の数の拡大自体こそが「葬式バブル」と言えました。
戦後の会葬者の数の増加は、死者本人の同一円(遺族・親族・友人・知人)の拡大が招いたものではなく、死者の子供の関係者(会社の上司・同僚・死者の生前を知らない取引先の方々)が会葬者の輪の中に加わり始めたことでした。
バブル景気崩壊までの会葬者は、大規模ですと 300 人を超し、中規模でも 100 人から 300 人位でした。
今後、会葬者の多い(大規模・中規模)葬儀は、死者本人が社会的関係性の広い人物に限られ、100 人以下の小規模な葬儀が、平均的なものになっていくと思われます。
かつて地域コミュニティーが葬儀を担っていた時代(戦前)、遺族は死者の傍にいて弔いに専念していればよく、親戚や地域の人達がサポートしてくれました。
最近では、死者と十分な別れの時間を取るのに支障をきたす「お客様」を嫌い、家族だけあるいは身内だけでの簡単な葬儀を望む方々が増えてきています。
現在、「家族葬」が支持されていることと無関係では無いように思われます。
このことは、葬儀の歴史から見れば「原点回帰」と言えます。

個人葬(一般葬)と社葬(団体葬)

葬儀を執り行う際、その内容を決める要因の一つに「参加者の範囲」があります。
その葬儀に誰が参加するかということです。
一般の葬儀には、誰が運営の主体になるかの区分はありますが、どこまで参加させるかという「参加者の範囲」の概念はありませんでした。
運営主体の区分は、大きく二つに区分されます。
一つは、一般的に「○○家の葬儀」といわれ遺族が運営の主体となる葬儀。
即ち個人葬(一般葬)です。
もう一つは、企業(団体)が執り行う葬儀。
即ち社葬(団体葬)です。

個人葬(一般葬)の変化

一般の葬儀で、葬儀に参加者する人の範囲を考えるようになった背景を考えてみたいと思います。
かつて日本の葬儀は、実質的には地域共同体が担う「共同体葬」でした。
しかし、高度経済成長以降の都市部では、これに会社共同体が加わり社葬ならぬ「会社葬」ともいえる葬儀が出現しました。
もちろんその内枠には、「親戚」と言う血縁共同体も存在しました。
つまり、葬儀の核を中心から見てみますと遺族・親族・地域共同体・会社共同体へと広がり、故人の社会性が広がれば広がるほど地域共同体・会社共同体という外枠が大きく拡大しました。
先ほど2.(1)の『葬式バブルと原点回帰』の項でも触れましたが、高度経済成長以降の葬儀の特徴として次のことが言えます。
死者本人の社会性だけではなく、本人以外の遺族の社会性が大きく葬儀の規模を左右したことです。
息子の会社関係等、死者本人とは無関係の第三者が多数を占めるようになり、死者の生前を知る者が三割、知らないものが七割という葬儀が一般的になりました。
葬儀の本質が「死者を弔う」ことにあるとするならば、死者の生前を知らない第三者が多数を占める葬儀は本質を歪めることになります。
バブル崩壊と時を同じくして、過剰なまでの葬儀への参加者の拡大をどこかで阻止し、参加者の枠を遺族だけに限定するか親戚までとするか、本人の友人、知人、関係者までにするかを、葬儀をする当事者は考えるようになりました。
その背景には、高額な葬儀費用も無関係ではありませんが、重要な要因として「死者との別れ」を大事にしたいという純粋な遺族の思いがありました。
「死者との別れに重きを置いた葬儀にしたい。」
このような発想から葬儀の参加者に枠を設け、遺された遺族(家族)だけの葬儀(家族葬)が支持され始めたものと考えられます。
葬儀は本来、「死者の関係者が共に弔うもの」と言う常識の崩壊が招いた現象なのかもしれません。
残念なことですがここ数年「直葬」という言葉を耳にするようになりました。
葬儀が持つ「社会儀礼」としての面だけが強調され、社会儀礼は要らないと考える人たちの間に「社会儀礼不要=葬儀不要」と言う現象が現れた結果です。
これも又、「常識の崩壊」が招いたことであるとしたら、日本人の「お葬式」に対する考え方、感覚が大きく変化し始めたと言えるのではないでしょうか。

家族葬の現状

葬儀を分類した時、個人葬(一般葬)と社葬(団体葬)に大別され、「家族葬」という種類の葬儀は葬儀社にはありませんでした。
消費者の間では、バブル崩壊後の1995年(平成7)年頃から使用され始めましたので、決して新しい言葉ではないように思われます。
ここ数年は、消費者の大多数の方が「家族葬」を葬儀の代名詞のように使用します。
新聞・書籍・ラジオ・テレビ等マスメディアに取り上げられることが多くなり、「家族葬」は消費者の間に完全に浸透し市民権を得たと言えます。
しかし、消費者の各々が考える「家族葬」は千差万別です。
葬儀を提供する葬儀社と、利用者との間には「家族葬」に対する考え方に開きがあるように感じます。家族葬の現状をまとめました。

家族葬の概念
家族葬を「安い葬儀」という意味で用いる消費者も少なくないですが、相対的に費用は低めになる傾向にあります。
しかし費用・価格の概念ではないように思われます。
家族葬を決める要因の一つは「参加者の範囲」です。
又、もう一つの要因は「死者との別れ」を大事にしたいと言う家族(遺族)の気持ちです。
密葬から家族葬へ
「密葬」と「家族葬」を同じように考える方もいらっしゃいますが本来は違うのではないかと考えます。
密葬は一般の人々に公開せず、家族(近親者)だけで執り行われる葬儀のことです。
密葬は一般的に、以下のような場合に行われています。

  • 年末年始に葬儀の日程が重なる場合。
  • 後日、故郷で葬儀を行う場合。
  • 後日、社葬等の本葬を行う場合。
  • 変死(自殺)等の理由で公開をはばかりたい場合。

どうも密葬という言葉には閉じられた、秘密の、と言うように言葉自体に暗いイメージが連想されたので、密葬という言葉の代わりに、家族で温かく送ってあげようという気持が自然発生的に家族葬という言葉を生み、浸透してきたと考えられます。
家族葬(密葬)は、決して家族だけで行うものではなく、親戚や親しい友人等が葬儀に加わることがあります。形式に流れがちな一般の葬儀に比べ、故人を良く知る人たちだけで、ゆっくりとお別れの時間を持つここが出来るイメージが家族葬には有ります。

家族葬の規模
一般の葬儀と同様に、家族葬も葬儀にどの様な方が何人参加するかで葬儀の規模が決まります。
一般の葬儀に於ける会葬者の数は、年々減少傾向にあります。
会葬者の全国平均を見ますと、1990(平成2)年は280名でしたが、2005(平成17)年には132名に減少しました。
都内では、100名を超える葬儀がある一方で、20~30名という規模もあり、100名を切っています。ここ数年、傾向的な減少は更に進んでいると言えます。
家族葬のこれから
家族葬とは、個々の家族に合せて行う葬儀スタイルのことと考えます。
故人に対する想いは家族(遺族)で様々です。したがって葬儀の内容も様々です。
家族葬はこのようにして行うものという限定した家族葬の決まり事はありませ。
「家族葬で葬儀をした」と言う方の中にも様々な家族葬のスタイルがあります。
「家族のみ」、「家族と親族」、「家族と親族と親しい友人」、「家族と親族と親しい友人と一般の方」というように様々ですが、それぞれの方が「家族葬」と呼びます。
しかし、それぞれに葬儀の規模(人数)の大小は有りますが、故人と別れる時間を大切にしたいという気持ちは、どの葬儀でも共通していると思います。
今後、葬儀を「義務感」で出していた時代から、家族(遺族)が「心を込めて葬儀を考え送り出す」時代に向かって行けば、家族葬は「普通の葬儀」(一般葬)にとって代わりますし、家族葬はこれからも増えて行くことと思います。

宗教のないお葬式

無宗教葬
仏教式の葬儀スタイルは「日本人の常識」といわれ、永く全葬儀の95%前後を占めていましたが、2007(平成19)年には初めて89.5%に下がりました。
日本人で特定の宗教を信じる人の割合は、およそ23%といわれ非常に少ない数字ですが最近では更に宗教離れが進んでいると考えられています。
無宗教葬の流れは社葬に於いて顕著に表れています。
建て前は「取引先の人の信条を考え偏らない方式」と言われています。
しかし、その背景には「企業の合理性」が見え隠れします。
それは、これまでの社葬であれば、葬儀式(宗教儀礼)と告別式とから成っていましたが、無宗教で行えば告別式だけで済むからだと思われます。
社葬ほど普及はしていませんが、最近では一般葬でも見受けられることがあります。
地域社会が入らない「家族葬」が増えてきたことを考えれば、今後宗教抜きの「無宗教葬」が普及しないとは言えません。
無宗教葬の問題点
厄介、面倒、古臭いという理由で葬儀から宗教を取り除いたら何が残るのでしょうか。
葬儀はファッションではありません。
死の事実の厳粛な確認と、死別の悲嘆への共感、命の継承、これらは葬儀に欠かせません。
その為に宗教が果たしてきた葬儀の「核」としての役割を簡単に取り去ってはいけないと思います。

直葬(火葬のみ・荼毘)

ここ数年「直葬」という言葉を良く耳にするようになりました。
もとより「直葬」という言葉は新しい用語です。
しかし、既に都内では直葬(火葬のみ・荼毘)が全葬儀の3割を超えたという数字もあるようです。
直葬は、葬儀(通夜、葬儀式、告別式)をしないで、火葬(荼毘)だけを行うことです。
かつては、生活困窮家庭や身寄りの無い人の葬儀形態としてあったものですから、決して新しい形態ではありません。
新しいのは、生活困窮者でもなく、身寄りがある人の葬儀形態としても「直葬」が選択されるようになったことです。
増加している要因として、日本人の葬儀に対する感覚が変化してきていることが考えられます。
(3)『個人葬(一般葬)の変化』の項でもお話し致しましたが、葬儀が持つ、社会儀礼としての面だけが強調され「社会儀礼不要=葬儀不要」となったのではないでしょうか。
それでも、「死者を弔う」という感覚まで無くしたのではなく、また「死者を弔う」ことを放棄した訳でもないと思います。
その証拠に、直葬(火葬のみ・荼毘)でも、宗教者(火葬炉前の読経)が介在するケースが見受けられます。