永代供養墓とは?
墓革命
発端は、1985(昭和60)年に始まった比叡山延暦寺の「九遠墓」です。
これ以降、後継ぎを必要としない「永代供養墓」は、仏教寺院を中心に広まって行きました。
これは、社会的にも意識的にも「家族」そのものが大きく変容してきていることの現象の一つでした。
この現象を別の視点から見れば「墓革命」と言えるかもしれません。
この後、公営墓地には、「合葬式墓地」「合葬墓」などの名前が付けられたお墓が出現しました。
これらの墓は、全国の寺院墓地、民営墓地、公営墓地に展開され、現在その数はおよそ500ヶ所を超えていると推定されます。
旧来、墓地では後継ぎのいない死者は寺院の慈悲で「無縁塔」に葬られていました。
供養は寺院が存続する限り行う
従来の「永代供養」とは、位牌等に戒名を記して寺の位牌堂に安置し、寺として供養を続行するということであって、墓そのものを永久に保存すると言うことではありません。
もちろん、永代供養墓が永代に供養されるといっても、遺骨を骨壺に入れ永久に保存するものでもありません。
予め相互で交わした約束(約款、使用規則)に基づき、場合によっては最初から、あるいは十三回忌、三十三回忌等を経て、他の遺骨と一緒にします。
つまり、最終的には文字どおりに「合葬」し仏教寺院は、死者の供養を寺院が存続する限り行うと言う仕組みです。
既存の墓地、納骨堂が「永代使用」といっているその意味は,「後継ぎ(墓を守る者)がいる限り、期限を定めず、墓所して使用を許可する」ということであり、後継ぎが現れずに「無縁」になった場合には、墓埋法により墓所は墓地管理者の手によって改葬されます。
1980年代ごろから、独身者や子どものいない夫婦等墓の継承者のいない人々の存在が社会的に注目されてきた。なぜなら当初は、継承者がいなければ、あるいは遺骨がなければ墓を売らない寺院や霊園が多かったのである。そこで、こうした人々の受皿として、家族による継承を前提としない新しい形態の墓が誕生した。
低価格な省スペース型
昭和60(1985)年、比叡山延暦寺が教宗派を問わず、継承者を必要としない「久遠墓地」を販売した。同墓地には、個人墓、夫婦墓のほか、3~4名の納骨が可能な墓もある。墓地永代使用権に石碑代・永代供養料・永代管理料・法要諸費用等を一括納付することにより、比叡山延暦寺大霊園が墓地・石碑等の管理清掃を行い無縁仏にならないことが約束されるという。
継承者を必要とせず、寺院・墓地管理者が永代供養を行うこの種の墓は、生前に申し込むのが一般的である。久遠墓地のように従来型の墓石を建てるもののほか、板状の墓石を壁状に設置し墓地区画を節約する壁型墓地、ロッカー式墓地、合葬式墓地、納骨堂等の形態もある。特に都市においては増大する墓需要にこたえるため低価格な省スペース型の墓が多く供給されているが、その背景には供給側の事情として、継続的な管理費等の収入が期待できないことから販売数を増やす必要性も考えられる。
ちなみに、これまでも家墓の永続性が前提となっていたものの、例外的に、継承者が絶える家の者が寺院に布施をし、33回忌までの弔い上げを依頼することは行われてきた。この場合、一定期間の経過後墓は片付けられ遺骨は境内の無縁塚等に合祀された。また、何らかの事情により継承者が絶えた場合にも、事実上永代使用権は消滅し、墓は「無縁」として改葬される。これらの背景には祖先祭祀は家族にゆだねられるものという考え方があるが、家族以外の者が祭祀を行うことを前提とする墓の登場は、大きな発想の転換であると言えよう。
永続性には疑問も
現在、永代供養については、法的な基準がなく、供養期間は墓地の経営主体によって異なる。さらに、墓地の経営主体については、墓地の永続性の観点から、営利企業はふさわしくないとの国の行政方針が提示されているものの、営利企業が経営の実権を握る宗教法人による名義貸しの事例等が指摘されている。さらに、過疎地域等では寺院もまた継承者不在という問題を抱えるなど、墓地の永続性や永代供養の実行可能性には疑問が残る場合もある。契約の際には、永代供養の期間のみならず、墓地の管理についての適正な管理費の設定及び内容の明確化等、墓地経営に関する情報の開示を求めることが必要である。
なお、公営墓地においても継承者を必要としない墓への需要増大を受け、供給が行われ始めた。東京都立霊園においては、平成3(1991)年度に壁型墓地、平成5(1993)年度に大型の納骨堂である長期収蔵施設、平成10(1998)年度には合葬式墓地の供給が行われており、現在では、最終的に共同合祀を行う継承不要な墓が供給の中心となっている。